[PR]看護師の好条件求人なら:5万人の看護師が利用する転職サイト!

 

心うつ声

 




イストラン氏の声 1

 

カスタネダ理論と実践-あるいは個と他者について

 

 

 

 

神秘主義的実践は、その理論からは限りなく隔たっているように思います。

 

 

ナムカイ・ノルプの紹介する老人は、僧侶ではなかったが、

死の数日前に、 これから一切邪魔しないで欲しいと掘立小屋にこもった。

 

 

そこで村人は彼が終生の修行者であり、これから虹の体になって死ぬと始めて悟った。

そして 彼は髪の毛を残して消えた。

 

 

あるいは、ラムダスの紹介する野人のような修行者。

この男は通りがかりの一行に

数マイル離れたところにいる人間の危機を叫び声で知らせた。

 

 

最初の例は、修行というものがいわばいかなる弁明も必要とせず、

極私的なものであると告げているように見えます。

 

 

いかなる理屈もある種の弁明である、

 

つまり他者へのアピールであるというドン・ファンの言に従えば、

 

 

いかなる理屈も超越してなお自分一個のためのものであるというのが修行の姿であり、

誰にもその正当性や真理をアピールする必要などはない。

 

 

 

ドンファンの言葉で言えば、そのとき親しい人たちはみな置き去りにされる。

 

 

ただ置き去りにされた人にとっては不可解さとある種の誘惑しか残らない。

 

 

修行のこういう極私性から見れば、

最大限発せられる言葉は二番目の例にあるように、

ただ純粋な叫び、ただ危機を指示する言語、物事に最低限のレベルで

介入する意志であって、ぐだぐだと世界観をこねまわすことなどない。

 

 

こういう実践のイメージからは、およそいかなる理論も、

その真理性がいかに魅惑的であろうが、

実践とのそもそもの質の差違を予感させるのであって、

そう見れば、カスタネダは両義的だということになるでしょう。

 

 

なぜなら、あまりにドンファンは孤独な世界を、「個人的な力」の話を、

親しい人たちを置き去りにする道を示したが、

同時に世界観や真理を語りすぎたのだから。

 

 

それはなおあまりに対他的であり、

メッセージ性に、他者へのアピールに満ちている。

 

 

極私的な実践とこの魅惑的な真理の対他的アピールとの間にある細い糸、

つまり誘惑は、我々に一つの意図をもたらし、

そこに注視するようにいざないます。

 

 

この糸の先にあるものは、

 

断崖から飛び降りるという終末の彼方の闇へと、

 

その無意味さへと、

 

その極点へと誘いながら、

 

膨大な世界観をこちら側に残すのであって、

この世界観自体は理論的な組立として解される他はない。

 

 

この世界観は言語を通して語られるのであり、

その言語は社会的対他的であるがゆえに、

「他者を必要とするがゆえに」以下のような矛盾が成立するのだと思います。

 

 

すなわち、実践に対する注視は言葉を一段低く見る、

が同時にそれはなお言語を通過しなくてはならない、

 

 

という矛盾であり、多くの人たちが意識することなく、

説教をしたがり、そのくせどこか適当なところで

「言葉ではない」と超越したがる欲望を持つというのも

この矛盾に関係のないことではないように見えます。

 

 

こうした矛盾は、我々に、言語を持つものとして

「本当に他者なしに存在できるのか」という問いをつきつけているのだと。

 

 

 

あの断崖の下には何があるのか、少なくとも無人の世界ではない。

やがてカルロスは羽根飾りのついた蛇を天空に見る、

呪術師の集団という姿を。

 

 

 

 




イストラン氏の声2

 

 

私は声を大にして言いたい、グルの予備軍に。

それは本当は「道徳的である」ということではないのか、と。

本当は君らはこの世界に道徳的に絶望したところから

いわば「探求」を始めたのではないのか、と。

 

 

 





イストラン氏のHPhttp://www.eleutheria.com/

 

 

 

 

|HOMEA1|A2|A3|心うつ声|思考月記

 

 

 


[PR][無料]足し算引き算で分かる:電卓で気になるあの人も恋人の相性も診断